2011年2月14日月曜日

雪のフリオコシ

すみだフリオコシvol.1 「おこす〜OKOSU~」、無事終了いたしました。
 
当日は、雪。
会場とさせていただいた浜野製作所の2Fはおかげさまで満員となりました。
ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
 
まず、取材・本番と多大なるご協力いただいた浜野さん、岩井さん、それぞれの従業員の方々に心より感謝申し上げます。
また、フリオコシの参加メンバー、当日お手伝いいただいたまち見世の事務局の方々にも感謝を伝えたい。
 
今回のフリオコシ。
もっとも大切にしたのは、ダンスやアート、もしくは町工場やものづくりといった既成のカテゴリーの垣根を越えて、
その奥底に共通する本質を浮かび上がらせることが出来ないだろうか、ということであった。
そこには、ダンスやアートにかかわる人たちにとっても、学ぶべき何かがある。
そんな勝手な思い込みから始まったプロジェクトである。
 
直接かかわったメンバーや、町工場の方々、初めてご覧いただいた皆様、
それぞれの中で想像以上に次の可能性を感じられたのはありがたいことである。
 
フリオコシがフリオコルために。
もっと融合を。
もっと本質を。
 
その先に、おそらくは人の営みがある。
分類される前の、アートへ。
ものづくりへ。
その誕生へ。
 
フリオコシ。
 
雪が降り、
「おこす」
ために。
 
フリオコシ。
 
その始原に出会うために。

2011年2月11日金曜日

すみだフリオコシ「おこす〜OKOSU〜」

いよいよ第一回「おこす〜OKOSU〜」が始まります。
場所は、今回本当にお世話になっている浜野製作所さんです。
現役の町工場の中へぜひ足をお運びください。
鈴木一琥
すみだフリオコシ〜フリの現場・現場のフリ〜
vol.1 「おこす〜OKOSU〜」
すみだフリオコシとは、すみだに多くある個々の町工場の音、リズム、作業工程の中に潜む「フリ」(振り付け)を型におこし、共有するプロジェクトです。
今回は、映像と音楽・ダンスの交錯するライブパフォーマンスをご覧いただきます。
その後、アフタートークを予定しています。(浜野慶一氏 岩井保王氏 高垣達郎 鈴木一琥)

Volume.1 「おこす〜OKOSU〜」 
おこす。金型をおこす。図面をおこす。
おこすという言葉は何かを始めるときによくつかわれる言葉であるが、町工場で使われるそのニュアンスは微妙に違うように思う。
おこすとは、ただ何かを始めるということのみでなく、ひとつの財産を生み出す作業であり、夢と覚悟が同居したものづくりの始まりを表わしているのかもしれない。
今回のフリオコシ。おこすことから始めてみようと思う。
現役の町工場で今までおこしてきた、おこしつづけている現場の方たちと、私たちは何が出来るのか。
工場の息吹とダンスの融合するささやかな試みにぜひ、お立ち会いください。

日時:2月11日(金・祝) 17時30分開場 18時開演  
場所:浜野製作所 プレス金型工場2F
東京都墨田区八広4−38−1
定員30名(要予約) スペースの都合上、立ち見の可能性もあります
ご予約・お問い合わせ sumida.furiokoshi@gmail.com
料金:1000円(ドリンク付き)
構成・振付 鈴木一琥
音楽 谷本琢
映像 大津伴絵
舞台監修 幸和紀(Tetra Logic Studio)
制作 高垣達郎
協力 (株)浜野製作所 (有)岩井金属金型製作所
ブログ http://furiokoshi.blogspot.com/
なお、当日は途中入室がむずかしいため、お早めにお越しください。

2011年2月9日水曜日

バリの可能性

このことばを聞いて、バリ舞踊を連想するのは私だけだろうか?
先月もたまたまバリ舞踊の方とひとつ踊ったので、私には島の名前に見えてしまう。

金型の世界では、違う。
バリとは、鉄などの素材を加工した際に生じるザリッとした部分のことである。
例えば、プレスして押された鉄。
圧倒的な力で一気に押されきったときに、端のラインがどうしてもバリっとするのである。

少し触らせていただく。
ザリザリとした感触は、不思議と心地よい。
軽く触るだけでは切れることはない。
ただ、勢いよくこすった場合、結構スパッと血が出るだろう。

商品は、その行き先にもよるけれど、多くはこのバリを削った状態で納品される。
つまり、バリは一般生活の中で常に無いモノとして存在する。
もっと言えば、生活に存在しないことになっている。
電車やバスの手すり、身近なところではスプーンや、取っ手。
どこを見渡してもバリは、ない。

軽くこすっただけで、手をきってしまうことがあるバリ。
バリが与えてくれる微かな緊張感は、実はとても重要な可能性を秘めている。

危険なモノを扱っているとき、人は少し慎重になる。
その慎重さは、自分が傷つく可能性を暗に感じている何よりの証拠なのだ。
その自分の身体への想像力は同時に、他者を傷つけるかもしれない想像力に直結する。

あまりにも凶暴な他者への暴力の多くは、その想像力の欠如に一因があることが多い。

今回のフリオコシを楽しみにしておられる方へ。
バリを直に感じていただくことになりそうです。
油断すると怪我しますのでお気をつけて。

バリの感触は、工場への入り口である。